サルマの子らはベツレヘム、ネトパびと、アタロテ・ベテ・ヨアブ、マナハテびとの半ばおよびゾリびとである。
サルマの子孫は、その子ベツレヘム、ネトファ人、アテロテ・ベテ・ヨアブ、マナハテ人の半分、ツォルア人。
サルマの子らは、ベツレヘム、ネトファの住民、アトロト・ベト・ヨアブ、マナフティの住民の半数、ツォルアの住民、
ネトパ出身のバアナの子ヘレブ。ベニヤミンびとのギベアから出たリバイの子イッタイ。
ネトパ出身のマハライ。ネトパ出身のバアナの子ヘレデ。
キリアテ・ヤリムの父ショバルの子らはハロエとメヌコテびとの半ばである。
キリアテ・ヤリムの氏族はイテルびと、プテびと、シュマびと、ミシラびとであって、これらからザレアびとおよびエシタオルびとが出た。
またヤベヅに住んでいた書記の氏族テラテびと、シメアテびと、スカテびとである。これらはケニびとであってレカブの家の先祖ハマテから出た者である。
ゲドルの父はペヌエル、ホシャの父はエゼルである。これらはベツレヘムの父エフラタの長子ホルの子らである。
ならびにエドトンの子ガラルの子であるシマヤの子オバデヤおよびエルカナの子であるアサの子ベレキヤ、エルカナはネトパびとの村里に住んだ者である。
ネトパの人々は五十六人、
そこで、歌うたう人々はエルサレムの周囲の地方、ネトパびとの村々から集まってきた。
ベツレヘムおよびネトパの人々は百八十八人。
ベテルからルズにおもむき、アルキびとの領地であるアタロテに進み、
さばきづかさが世を治めているころ、国に飢きんがあったので、ひとりの人がその妻とふたりの男の子を連れてユダのベツレヘムを去り、モアブの地へ行ってそこに滞在した。